宮沢賢治「虔十公園林」【青空文庫でさくっと読める名作】

名作文学

こんにちは、編集長の福田です。
今回は青空文庫でさくっと読める名作ということで宮沢賢治の「虔十公園林」のお話です。

半日村と虔十公園林

ふと、先日、子どもとNHK教育を眺めていましたところ、「半日村」という童話をやっていました。
一日の半分ぐらいが日陰になってしまう半日村、村のある子どもが山を削って、湖に埋めるということを始めるのですが、最初はみんな馬鹿にしていて。。。という童話でございます。
これも、結構、良いお話です。

これを眺めていると、何となく宮沢賢治の「虔十公園林」を思い出して、久々に青空文庫で読んだというわけです。
いやー、青空文庫は良いですね。無料で名作読み放題。夢のようなお話でございます。

「虔十公園林」は虔十という少年が家の裏の全く不毛な土地に、杉を植えて世話をする、それを馬鹿じゃないのか、と周りの人は言うのですが、虔十はせっせと世話をするんですね。

半日村の場合、最後はハッピーエンドで、半日村は最後はちゃんとお日様が差します。
しかし、虔十公園林では、虔十の植えた杉はやっぱり大きくはならない。それどころか、虔十はあっさり腸チフスで死んでしまう
「え?! 嘘?!」
とつい言ってしまう。普通の童話じゃ、そんなこと絶対に起こりませんからね。
それなのに、最後はちょっとほろりと涙が出そうな良い終わり方をして、名作です。

宮澤賢治の童話にある現実の厳しさと残酷さ

宮沢賢治の童話はどことなく残酷なところがあります。
しかし、その残酷さはグリム童話などとは違って、不思議な温かみがあります。
言うなれば、安易なハッピーエンド、現実じゃ起きない都合の良い展開を宮沢賢治は拒絶するんですね。
普通の童話なら、そこはめでたし、ハッピーで良いようなところなのに、変に現実の厳しさを含んでいる。
でも、その現実の厳しさの向こうに、不思議な温かみ、ハッピーエンドみたいなものがある

「虔十公園林」は正に、そういう宮沢賢治の不思議な温かみのある残酷さのある童話じゃないでしょうか。

そんな感じで今回は宮澤賢治の「虔十公園林」の話でした。