「松本山雅」降格から思い出す、我が家にもたらしてくれた 幸せ感
諏訪地域、松本地域、伊那地域の工務店の池原です
とうとう、この日が来た、今季が始まり、調子が上向かない状況をみていましたが、松本山雅FCが、Jリーグ一番下のカテゴリー J3に降格が決まった。
山雅との出会いは 2011年 東日本大震災の年だった、古参のサポーターさんも沢山いらっしゃいますが、 JFLのカテゴリー
にいた山雅を見たときに Jリーグという頂 を目指すという目標から こんなにも地元の人々が熱くなれる場所と環境をみて
いて いてもたってもいられない感情になったことを覚えいます。
2011、2012、2013年シーズンは、アウェイ観戦もしばしば、ホームの試合はほぼ全てに応援にいきました。
夏休みの旅行先も アウェイ試合観戦です。
その3年間は 我が家の全ての行事が山雅の試合に注がれ、山雅中心に生活が回っていたと言っても言い過ぎではありせんでした。その後も、しばし、ホーム、アウェイと応援に行っていますが・・。今シーズンは DAZN観戦です。
3人いる子供たちの成長とともに部活動などが入るようになり、少しづつ疎遠になっていってしまいましたが、今でも我が家の共通の話題は松本山雅です。
2011年当時、年長であった幼い息子は、サッカーのルールを知っていたかどうかは不明ですが、選手の応援チャント、チームチャントのリズムにハマった?、毎試合欠かさずにスタジアムに行っていた影響から、間違いありませんね、現在は
高校サッカー部に入り、毎日、サッカー漬けを送っいます、今日も、自分の試合が終わった後、息子から、真っ先にJ3降格の連絡が入りました
松本山雅、どのカテゴリーにいることより、山雅というチームが我が家への影響をもたらしたことは大きく、
子供たちが思春期の難しい年頃であ利、ろくに口も聞こうとしなかった当時も、山雅の話題だけは家族での会話があったことから家族の絆を 保てくれたと言っても過言ではないと思っています。地域のサッカーチームが我が家に与えてくれたことの大きさから 我が家が与えてあげられることは、 これからもずーと 地域のチームを見守っていくことだと思っています。
今夜は、私にとって 1つの節目みたいな気持ちになり、書きたくなりました。
私たちの会社も ここまで23年間、来年は創業から1,000棟目を迎える予定です、ここまで、エルハウスで家を建てると決めていただいたお客様がいたからこそここまで、存続できています。地域のお客様に与えてもらってきました。これからは、地域にもたらす また地元の人を元気にすることを与えていこう、 そのような 工務店になっていきます。
今では 坊主の息子も高校サッカー真っ只中。
@松本市民タイムスより
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