長野県茅野市の工務店エルハウスの社長 池原にとって忘れない思い出の日なのです
諏訪地域、松本地域、伊那地域の工務店の池原です
6月17日 今日は特別な日 長女の25回目の誕生日です。 今は、県外に出て離れて暮らす娘。LINEで「おめでとう」と伝えた。 時折、17日?あれ19日だっけと記憶が散漫になっていましたが、スマフォのおかげで 笑 誕生日を間違えることはありません。
誰でも我が子の誕生は嬉しいはず、 今でも25年前の今日のことをよく覚えています。初めての出産ということも
あったのかもしれませんが、嫁から立ち合い出産を求められ 分娩に立ち会いました。
出産をした病院では 立ち合い分娩をするには妊娠中の期間、夫婦で5回位だったか、出産への講習を受けなければ
ならないというルールがあり、仕事を休んで参加した記憶があります。
当時の時代なのか、 出産の講習には10人ほど妊婦さんがいましたが、そのうち夫婦で参加していたのは、たしか
私だけ だったような記憶です。
よく覚えているのは、照れくさかったことと、普通は立ち合いをしないみたいなのに、俺だけ?たち会うの?と思ったこと。(後に、立ち会って喜びは倍増でしたが・・)
周りの友人に聞いても 立ち合いはしていないよ、、と聞いていましたし。
「 シー、はっ、はっー」って呼吸を一緒にやったことをおぼています。
6月16日位だったと思いますが 陣痛と共に分娩前の妊婦さんだけが入る個室に移り、そこからが長かった。
というと、怒られますが・・。笑 いつ生まれるかわからないので ご主人一緒に入ってください と言われ
その時は、すぐだよね と思っていましたが 待てど 時間が過ぎても生まれる様子はない、嫁は苦しんでいましたが私にはさすってあげることくらいしかできず、 あまりに長いので 「まだー」と思いながら 個室の中で
過ごす時間に飽きがきていました。
いや、世の中の出産を経験されている全ての女性から 避難を浴びそうですが。 すみません。
今でも嫁から言われます、「私が苦しんでいるのに、大河ドラマを見入っていたことを・・」
そして迎えた18日 丸2日は経っていました、朝になりまだっぽいことと、嫁も食事ができないほどの状態でしたので、私の殆どろくに食べていない、とうとう、9時くらいでしたか、「朝飯食ってくるわ」と、とうとう病室を出ました。 (これも、いまだに恨まれています 笑)
朝飯から帰ってくると、病室は誰もいない。 あれ? 分娩室に入ったようです。いよいよか。ここで問題が。
立ち合い出産のルールで、病室から離れてはいけなかったらしい。後から分娩室に入るのは 絶対に許されていなかったらしいのです。 そうです、ここで、立ち合いができなっからいきなり、子供の誕生と共に夫婦の亀裂の予感が。
看護師さんから 絶対ダメです。ルールですから、 と。 強く阻まれました。 すみません。朝飯を食べに行っていました。と 正直に言ったことが良かったのか、そこに、天使が舞い降り、特別に・・。というお許しから分娩室に入ることができました。
私は嫁の頭の上にあぐらで座り 出産の見守ります。 やがて 「鳴き声」 と共に娘を見た時には、
私が産んだように思え、この時は 神 になったような不思議な気持ちと、涙こそはでなかったですが、
今まで味わったことがないような感動を感じたことを覚えています。 多分、この時ほどの感動はこの先もない。
と言い切っていいくらいの感動でした。
その時の感動の 娘が もう25歳。 子育てには色々な思い出がありますが 断片的にしか思いだすことができず、本当は 1分1秒と全てを思いだしいのですが、何故か断片的しか思い出せないのですが、とにかく
25年前の今日の出来事は 詳細に覚えています。
今年の私の誕生日祝いに娘が送ってくれたボールペンです。
この経験から お客様で初の出産を迎える ご主人には 私のエピソードをお伝えをし、初めての出産を迎える
奥様は不安でいっぱいなはず、 一緒にいてあげてくださいね。 語っています
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