池原が自分を語ります 「衝撃の出来事」
🏘諏訪地域、松本地域、伊那地域の工務店の池原です 😀
人生 忘れない瞬間って ありますか? 大抵、ショッキングな時
飛び上がるほど嬉しい時、感動した時、誰でもいくつかあるはずです。
今まで工事予算書は、担当の現場監督が作って建築工事を行っていましたが、 その出来事の半年くらい前から
社長が工事予算書を作るようになったんです。 半年後にその理由がわかりました。
いつものように 現場に出て仕事をしていると、会社から携帯に連絡。
今日は、事務所に戻らないように という指示。 そして 告げらたのは 自社で建築した焼肉店に
来なさい、って言われました。 事務所に戻らないで 焼肉か、 今日はいいねー。と
焼肉店に 行ったんですが、
そこで告げられたのは 会社を整理しますって。 えっ?? って思いました。
今すぐ 携帯の電源を切るよにって言われ、 初めて事情がのみこめました。 つまり 「倒産」
倒産とは言わなかったか、整理 って言ったような記憶です。
取引業者に FAX連絡を入れた。 と。 これからどういうことが待っているのか 検討はつかないまま、
とりあえず、会社からの恩恵に甘え、焼肉を食べることにした。(今日は、おもうう存分飲んで、食べてほしいと
言われたましたからね、 明日は、明日の流れで・・て)
今から考えると のんきなもんです。 実際にも、流れるままでしたかなかったですが。
私は サラリーマンで責任を負うことはないから・・・っていう思いもありましたが、
社会はそんなに甘くはない、 ですよね、 取引先だって死活問題ですから、実際にこの会社の整理の影響で
メインでお付き合いしていた 取引先は倒産をしました。
数日後に とある取引業者が私の自宅まで来ましたし、 それから、コンビニであった業者さんからは
いいよな、 なんの苦労もないんだろって 言われました。
この辺りから 責任はないものの、一緒に現場で仕事をしてきた人たちに 言われたのは ショックであったし
現場監督が 工事の予算を作っていたし、工事発注も現場監督が行なっていたし、請求書の適正判断も
現場監督でした、 つまり 粗利を残すか残さないかは 現場監督次第っていうこと。
営業が仕事が取れなくなり 粗利管理がいい加減だったとしたら。。。。当然、会社とての機能は停止しますね
会社を有限会社に変えて再出発をすると告げられ 残るの人は残ってほしいとい言われたんですが
私以外、みんな会社をさっていきました。 なぜ、私が残ったのか、綺麗事は言って入られません、
家族を養っていく まだ 2人の子供は小さく、1馬力で働いていましたし、 給与さえ頂ければ
いいって思いましたし、仕掛かりの現場もありましたし、
その現場は母屋の同一敷地内で施工していましたら、 そのお客様のご両親とは 工事の段取りからも
打ち合わせをすることも多く、何度もかおを合わせていましたから、どんな思いをされるんだろう、って
想像ができました。 実際、ご両親が会社が閉めると知った時の 心配をされていた顔の表情、
どうするんだって言われた言葉 私は、謝るしかなかったと、
その時は 流石に経営陣が ここに来いよって思いましたね。
結局、上司の役員2名と私だけの再起でした。 その後、現場を続けるにも、苦労しましたね。
返済するまでは取引はしない、と言われた相手もあり、他の全ての取引先は 現金前払いと言われて
現金を持参をして頼みに行ったりと、 お金を預けて その額面までは取引をしてもらえましたが、
その額を超えると、売ってはくれませんから、 また お金を持っていくわけです。
辛かったですね、 それから 現場を続けるに職人さん、が必要でした、
大工さんに前払いして現場を続けてもらいました。もう一人の棟梁は、金は後でいいって言って
もらったことは感謝ですね、 この棟梁は
ぶっきらぼうで 根っからの職人って感じ、 はっきり言えば酒と大工しかないのっていう
強面の棟梁でしたが いい人でしたし 好きでしたね。
こんな エピソードが。
材料が足りない、明日の朝からやることがない、朝イチで持ってこいと言われ、
明日は行けないので 今夜、運んおきます ってあれは 夜の9時頃だったような記憶ですが、
現場に材料を運んだら、その棟梁が遅い時間なのに現場にいたんです。
あれ??
お前が来るっていうから、待っていたんだぞ、 と、缶コーヒーを渡してくれました。
こういう、人間味の暖かさがあるところに惹かれましたね。棟梁の自宅に飯を食べに行ったのは
私くらいでは ないだろうかっていうほど、 ぶっきらぼうで、愛想がない棟梁です。
もちろん、腕はいい仕事をされていました今はどうしているんだろう・・・。 時折、思い出します
とにかく 売掛を踏み倒しての仕事を続けようとしているんですから
引業者さんは皆さん 眉間に皺を寄せて 渋い顔。
どの業者さんにも言われたことは、 0は困るんだよね、踏み倒した金は
仕事で返していってくれ、って。
前回も書来ましたが、 無償でクレーンを動かしてくれたことは クレーン屋の社長には ほんと、感謝しか
ないんです、私がエルハウスに入ってからも どこのクレーン屋さんもいっぱいで
頼めない時に 助けてもらいましたね。
私は周囲の人に恵まれていたんです、 もちろん 職人さんから怒鳴り、怒られたこと、喧嘩もしたこともあります、
ですが、そういう出来事も含めて
多くの職人さん 他 関係していた方々に支えてもらっていたんです
【下諏訪町|2階3LDK】プライバシーと開放感を両立させたL字デザインの家
2024年07月13日(土)〜2024年07月21日(日) 10:00〜17:00