諏訪・松本の工務店の社長ブログ|家族物語843

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池原が自分を語ります 「 社会人」

🏘諏訪地域、松本地域、伊那地域の工務店の池原です 😀

社会人のスタートは やはり都、 新橋でなきゃ、満員電車の通勤も悪くない、アフター満喫 サラリーマン。

大学を卒業して 東京でサラリーマン 当時は なりたい職って なかったんです
サラリーマン という職種。 それって職種じゃないですよね 笑
バブル崩壊した頃ですが 、テッパンの1流企業ってやつです、 まあ、1流大学出なら可能ですが
3流大学出は 厳しいね、 面接、受けるのは自由。 いまだに自慢は 理系というだけで
ANAから面接に来てほしいって 電話があったことかな。  当時は 全日空、
航空会社なら 日本空港(JAL)でしょって 行きませんでしたが、また ここで 生意気というか 素直さというか
あさはかさが 発揮されました。

新卒 1年目を過ぎそう、 理系出だったことから システム屋さんに就職をしたの 私が入った年に上場しました。
ですが、そのシステム部で私が買われた才能が 社内のバス旅行の企画。 新人だからね、まあ 任せらて、
仕事そっちのけで企画から運営をしましたね。
でもって そこに目をつけらてたと思いますが  営業へ転属、誘われまして、もちろん 断りました。
そのことがきっかけか、はたまた 業務不審が原因か 子会社に出向を命じられました、
当時のキーマンだったかわかりませんが 若造なのに、 人事部長と飲みに行く機会があり
人事部長から言われのが 俺の息子なら やめろっていうね、 若いんだから この会社にいなくてもしがみつくなって
言われました。 恵まれたアドバイスか、 策略化 ? (ではないって信じていますが)
それなりの規模の会社の人事部長です、その部長と呑んで直々に話をしてもらったんと 思っていたんですが
サラリーマン 大先輩の親父に話をしたら、 「お前はあさはかだ」、と 一括されました、その時は
何を言ってんだ、こっちだって考えてのこと ・・と

でも あれから 30年近く経つと 親父が言わんとしていたことは、 当時は終身雇用とも言われている
時代ですが 仕事は 辛いこと、嫌なこと、時には理不尽なこともある、家族を養うために、と
いう思いから 生き抜くためには・・っていう 気持ちを伝えていたんだと思います 。家族を持ち
一戸建てを建て、子育てをし、子供には苦労させず、好きなこともやらし、学業だって、と
いう 自分だけの満足で生きるなって 責任を教えたかったんじゃないだろうか。
いつまでも 親の脛は齧れない ってことをね。 生きるってそういうことだ、っていう
ことを言っていたんだと思う、言われたかもしれませんが、若い自分には 全然、入ってこない声。
でしたね。
その 出来事は 今から思うと
大きい人生の帰路でしたね。 会社をやめる必要もなかったし、親にもやめることに反対はされたし
でも あの部長と呑んだことが・・・。
結婚もそう、子供たちもそう、あの時、会社を辞めなければ 全く今とは違う人生を歩んでいたと思います

【下諏訪町|2階3LDK】プライバシーと開放感を両立させたL字デザインの家のメイン画像

【下諏訪町|2階3LDK】プライバシーと開放感を両立させたL字デザインの家

長野県諏訪郡下諏訪町

2024年07月13日(土)〜2024年07月21日(日) 10:00〜17:00

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