諏訪・松本の工務店の社長ブログ|家族物語843

  1. HOME
  2. 諏訪・松本の工務店|池原純一ブログ
  3. 池原が自分を語ります 「 学生時代 」
副社長 池原純一

池原が自分を語ります 「 学生時代 」

🏘諏訪地域、松本地域、伊那地域の工務店の池原です 😀

今の時代は あまりいないけど、当時はどこの子供も野球少年。

プロ野球、甲子園 王道の憧れでしたね、  野球に明け暮れていました。
近所のおじさん、おばさんから 甲子園に行ったら応援に行くからねって 毎回
家の外で練習をしていると 声をかけられましたね。
それほど、野球しかしていなかった 小、中時代。 ですが、転機というか 不運というか
中学生の1年の時に 利き腕の肘を怪我しましたね、 今は 大谷さん、ちょっと前なら 桑田さん
当時は 村田さんって 有名なプロ野球選手は 手術して復帰されていますが、当時の中学生の私も
同じ怪我を背負ったんですね、 怪我は克服できず、 右投げから左投げに転向したことは 今でも
自慢ですね、 それだけ 練習をしたってこと。 それは 近所のおばちゃんも 甲子園を期待するわけ  笑

その怪我が原因で、高校では野球をやらなかったです、今の精神面であったら絶対に続けたんですが、
高校の入学式の当日に、野球部に入れって チームメイトの友達の親父に言われたことからも、変にカッコつけて
もったいぶった自分を出し、 入らなかったんですね、 高2の夏に 野球部監督に なんで・・野球部に入らなかったのか
て問われた時にも、あんまり覚えていませんが、偏屈な返事をしたような気がします。
つまり 素直じゃなかったね、カッコつけていたんだと思う。バカみたいですよね、  社会人になって、この年代に
なってわかったんですがね。

いつの時間に戻りたい?って聞かれたら、高校の入学式のあの時と、野球部の監督との会話の時かなと思うです。
それほどは変わらなかいかもしれませんが、 ずーっとやり切った感というか、 追いかけてきたことを
結果を見ずに 投げ出した って言いう思いがあるんです。

大学に進みましたが、 その大学生活も 乱れていたのは 高校生活からの延長だったと思うんです
楽しく、愉快に、 まあ、バブル期であったので 華やな大学生活でもあったんですが、一方、
何も残せない 大学生活だったと思います、 残せたのは 5年間、大学に通ったこと。
あー スキーには打ち込みましたね、 スキーブームではあったんですが そこは一般もスキーヤーとは
違いましたね、 ほぼ 冬山にこもっていましたし、そこで 資格までとりましたから。

でも、もっと色んなことができたような気がします、 バイトにも打ち込んでいましたがね、
あれは 友達との繋がりだったかも、遊びですね。

【下諏訪町|2階3LDK】プライバシーと開放感を両立させたL字デザインの家のメイン画像

【下諏訪町|2階3LDK】プライバシーと開放感を両立させたL字デザインの家

長野県諏訪郡下諏訪町

2024年07月13日(土)〜2024年07月21日(日) 10:00〜17:00

ご予約はこちら 

 

 

 

社長 池原純一のプロフィールへ
お客様の声
イベント情報

関連諏訪・松本の工務店|池原純一ブログ