働き方を考えるライフワークシナジー|一生懸命に生きた叔父
こんにちは。
松本、諏訪、伊那地域の工務店エルハウスの住宅コンサルタント、
土橋千咲です。
私の叔父さん
先日父の弟の叔父が84歳の人生を閉じました。
埼玉の所沢市で葬儀があり、実家の代表として参列しました。
遠くにいる親戚だったので交流が多かった訳ではないですが、私が大学に行っている間叔父さんの家に下宿させてもらいとてもお世話になったのです。
その家には職場結婚をした東京出身の穏やかな品のいいおばさんと年の近いいとこが二人いました。
叔父さんは諏訪の高校を卒業し、その後東京の都市銀行に就職したエリート(当時は)で、
母方の親戚を合わせても優秀な人というイメージでいつも話題になっていました。
私が一緒に暮らしたの叔父さんが50歳位の時で、仕事も立場的にも大変だった頃だと思います。
朝6時には家を出て、家に帰るのは夜11時近く、おばさんは毎日毎日ワイシャツのアイロン掛け、休みの日は家から出ないでTVを見ているという生活を見て「私は銀行員の人とは絶対結婚しない」と心に決めたのでした。
今思うと一人で東京に行って、厳しい組織の中に入ったことは、田舎でのびのび育った叔父さんにとっては過酷な環境だったと思います。
そのこともあって若い頃に大病をしたので「あいつは俺より早く死にそうだ」と父がよく言っていました。
会社に行っていた頃は顔も険しく、あまり話しかけられない雰囲気もありましたが、定年後は人が変わったように穏やかな顔になり地域のことや趣味を楽しむようになったようで実家の下諏訪にもよくお墓参りに来てくれるようになりました。
俺の方が長く生きると言っていた父より10年以上長生きしてくれたのはとても心強く、嬉しかったです。
葬儀で眠っている顔を見て、一番苦しかった頃を知っている、家族に心配はかけたくなかったのか一人で兄である父に会いに来て会社での悔しい気持ちや辛い気持ちを泣きながら話をしていたことを知っている私は叔父さんが苦労したことを思いとても悲しい気持ちになりました。
しかし、普通だったら疎遠になりそうな叔母さんと一緒に暮らしたことがあるおかげで悲しい気持ちや昔の話を共有できる関係でいられることは父や叔父さんに感謝です。
写真はお葬式の前の日に故郷の風景である下諏訪から見た諏訪湖を写真に取って額に入れて持って行き、祭壇に飾ってもらったものです。
叔父さんからワークとライフの今のあり方を考える
そのように企業戦士のモデルのような働き方をした叔父さんは、休みの日は無気力で、体と頭を休めることで精一杯だったと思います。
ワークライフバランスの前の時代でした。
それか、ワークライフバランスを上手くコントロールできない時代だったかもしれません。
それから30年経ち、縁があってエルハウスという会社で私は仕事と休み(遊び)の境界を無くしたワークライフシナジーという生き方に取締役として挑戦しています。
叔父さんたちをお手本としてきた時代をかじっている私にはまだ戸惑いや罪悪感が正直あります。
ただ会社のリーダーとして、エルハウスで働くメンバーが仕事もプライベートも充実した環境だからこそ成果に結び付き、
いい仕事、いい遊び、いい人生を知っているメンバーこそが多くの人が幸せに暮らせる家を建て続けていかれることを示していきます。
「仕事は大変、休みが待ち遠しい」というモチベーションの人間ではいい仕事、いい家は出来ません。
エルハウスは働くメンバーの意識から家づくりをしています。