諏訪・松本の工務店の社長ブログ|家族物語843

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池原が自分を語ります 「 建築業の礎となった」

🏘諏訪地域、松本地域、伊那地域の工務店の池原です 😀

Uターン就職もをするつもりではなかったですが、結果、Uターンしたってことですね
で、現在に至っているんです。
スキーのイントラのバイトをしていましたが、当たり前ですが 冬しか仕事がない、
次のシーズンまでどうするって あまり考えていない 私を見かねた親から 面接に行け命令
某ゼネコン建設会社に面接に行くが 結果の前に 私から辞退したんです、
理由は、簡単。 建設業界は休みが少ない、 週休2日、有休ありのサラリーマンでしたから
当時の建設業界は週休1日  か隔週2日休みだったか記憶はありませんが、とにかく休みが少ない
ってことでした。
そのあとは 某電気メーカーのBto Bの営業をしたんですが、その会社では責任者になっていくにつれて
転勤もしくは 出張の連続という感じで 上司を見ていて家族と一緒にいる時間が少ないって思ったことと
もう1つ、Bto Bの営業って 接待もあったんですよね、 その接待っていうのが どうしても
気にいらなかったです。
営業っていうのは 上司からも適任だとは言われていましたし 大きい仕事も決めていましたし
順風満帆といえばそうではあったと思うんですが、 嫌だったんです。

で、この時に一生家族を持った時に 続ける仕事ってなんだろうって考えました。やりたいこと、、
そうスキー関係って思いはあったんですが、家庭を持ち家族が増えると この業界から
身を引いている先輩を多く見てきました。とすると 理想と現実は違うぞって。
では 何をするの?って考えた時に 物をつくるの楽しい 売るより楽しい、そして
ずーっと 絶えない職業ってなんだ?って考えた結果が 住宅、家づくりだったんです。

でも ハウスメーカーとか家を売るのはごめんでした 当時は円高の煽りもあり 輸入ブームと
国内景気からログハウスが流行っていて ログビルダーになろうって思ったんです。大工さんとは違います
ログハウス職人に。 将来はカナダで ログビルダーもと夢を見て、
当時、輸入住宅、ログハウスを手がけ カナダに現地事務所もある 2×4の工務店に入れてもらったんです
そう、入れてもらった という言葉が示すとおり、建築のことは何もしらない、かつ 営業はやらない宣言。
全くの素人を拾ってもらったという感じだったと思います。

後で聞いたんですが、小さい会社に 大卒が応募してきた っていう理由だけで採用したらしいです。しかも
面接の時は 社長はカナダに出張中で不在、しばらく社長は帰国せず、 私がいつ採用を決めるのか?
って迫ったものですから 社長の許可なしで採用をしたって言いう エピソードを聞きました

初めての業界、家庭も家族も増え とにかく がむしゃらというか 年齢、経験はなんの役に立たない
初心でっていう気持ちでしたね、 自分より6歳以上も年下に仕事を教わりましたね、プライドはなかったかと
いうと嘘になりますが、 屈辱も味わいましたね とにかく
知らない世界に飛び込んだわけですし、 嫁には この世界で食っていくって 宣言した
ものですから、逃げることもできないし、っていう気持ちがまさっていました。

振り返ると この会社での建築の知識を身につけたのが大きかったです。
ログビルダーになりたいって 思って飛び込みましたが 現場監督から初めたわけですが、
その辺りのハウスメーカー、工務店の現場監督とは 全く違いましたね、

カナダ事務所とのやりとり、直輸入、直にコンテナで材料を取り付け、3ヶ月に1度のコンテナからの荷下ろしは
1日がかりで楽しかったですし  横浜港に材料を直接引き取りにも行きましたし、カナダ人のスタッフと
アフターサービス回りも行いました。
キッチン、バズタブ、シャワー、洗面なども カナダから取り寄せていましたから、
組み立てる職人もおらず、 私とメンバーで 英語の取説を解読して組み立てたり、
国産メーカー品の場合は  メーカー担当や卸店の担当がいて助けてくれるんですが、
直輸入はそんな担当はいないわけですから 全て自分たちで。  不足の部品調達に1日探し回ったこと
も何度もありますね。

ログビルダーってどうなったのかって。  ログハウスもやりましたよ、現場監督でね、
ログハウスって 一度仮組みをした丸太をバラして コンテナに入れて 現場に運ばれてくるんです。
初めてやったログハウス 。 丸太の積み込みの順番が 本来なら 一番下にくる丸太を一番上に積んでくるはずが、
これが逆に積み込まれていて、予定の組み立てができずに 丸1日 荷下ろし 全て丸太を並べ変えるという
ハプニングがありました。
県外の高級住宅も手がけましたし、ワンルームマンション(木造3回建て)、長野県の住宅供給公社の案件も
3件はやりましたね。 この県の住宅建築も 大きい経験になりましたね。
この時に、検査の重要性、工程管理、 材料、品質管理など 実践で学ぶことも大きかったですね
今ででも忘れないのが 基礎の鉄筋検査で 不合格となり 原因は忘れましたが 全ての鉄筋をバラしてやり直しす
羽目に。
次の再検査までに日数がなく、 職人さんは激怒するし とにかく検査に間に合わせるために、
投光器を3台投入し、激怒していた職人さんと 、夜通し朝まで鉄筋を組みましたね。

そんなこともあったせいか、はたまた 3物件も県の住宅を手がけたこともあったせいか、
住宅供給公社の監督官が わざわざ事務所に訪ねてきてくださる という関係性ができましたね、
通常はありえない 一般住宅施工の相談に載ってももらえましたね、可愛がってもらえましたね。

強面の職人さんにも恵まれたかもしれません、 怒鳴られこともありましたし、
夜な夜な 作業に付き合うことも何度もありましたね、 夜食の差し入れ、 夜食を食べにと
当時、現場での作業が終わるまでは よほどの用事がない限り 現場の鍵は私 監督が鍵を閉めるって
決めていました。
仕事、作業をやっておいてくださいね っていう頼み方が嫌いだったんです。
苦労するなら、一緒に苦労をするっていう覚悟で家づくりをしていました。
はちゃめちゃっていえばそうかもしれませんが、 職人さんは会社についてくるもではなく
現場監督についてきてほしいって思いで 関係を構築していました。

そのことからも、今のエルハウスの職人さんの中には 私が連れてきた職人さんもいますし
私の自宅の新築祝いは 世話になった棟梁が 階段を作ってプレゼントをしてくださいました。

私の現場監督の基本は この時にほとんど詰め込まれましたね、 詰め込まれたことも
ありますが 自ら学んだことも多いです、 いいことも悪いことも
職人さんとの人間関係、どしたら職人さんに監督の意図を伝えられるのか、現場管理の極意です
(教えてできるものではありませんが、とにかく思いやる関係性です)
職人さんに仕事の出戻りはさせない 手直しもしないようにする 品質管理

特に工程は大事 仕事が空振るなんて持ってほか、監督の管理が悪い、段取りが悪いんです
その代わり 決めた工期の約束は絶対に厳守させる、 こちらもそれなりの覚悟を見せる 工程管理

図面通りに作ってはうまくいかない 、起きることはずべて現場、その時に最善の策と
施工を考えだすのが現場監督、 細かい仕上がり、細かい指示をわかりやすく伝えるのは
監督が施工図を書くこと、 いくらいい図面であっても それをいい家にするのか、見た目だけがいい
それとも中身までいい家にするのか、それは現場監督次第で変わる お客様との家づくりの関係の橋渡しも現場監督、
施工管理

こんなこともあったかな  今では考えられないですが 当時はこんなエピソードも

現場をほおり出して 大工さんと飲みに行き、
夜、車が現場に置いたまま人がいない。から気味が悪いって、お客様から会社にクレームが。
正月明けの現場は 朝は作業の打ち合わせをした後、昼から 職人さんと新年会、
大晦日に 職人さんと現場作業も
図面の間違えに気が付かず、そのまま作った基礎、 基礎屋の親方と責任の擦り合い
から、 だったら俺がぶっ壊すからと 私一人で 3日間 ずーっとコンクリートを削り続けた。

クレーン業者の社長が 支払いができないということをわかった上で、
私の現場ということから 5日くらいかかった建て方のクレーン作業を無償でやってくれたこと
(この社長さんには、今も顔を合わせることがありますが 感謝しきれないほどの感謝)

周りの人に 助けられて 今建築業の私がいるんです、 職人さんに育てられた っていうのは確かですし
職人さんがいて 住宅ができるという 感謝の気持ちもこの時に養われました

【下諏訪町|2階3LDK】プライバシーと開放感を両立させたL字デザインの家のメイン画像

【下諏訪町|2階3LDK】プライバシーと開放感を両立させたL字デザインの家

長野県諏訪郡下諏訪町

2024年07月13日(土)〜2024年07月21日(日) 10:00〜17:00

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