サンタクロースはいない|どう子供に伝えるか?
こんにちは!
松本、諏訪、伊那地域の工務店エルハウスの住宅コンサルタント、
土橋千咲です。
街のイルミネーションやお店の飾り付けなどクリスマスシーズン真っ盛りですね。
エルハウスでは毎年その年にご新築されたお客様にエルハウスサンタからプレゼントが届きます🎁🎅
毎年直接サンタの格好をして各家にお届けしていましたが、今年からはLINEから見られるメッセージ動画をプレゼントに入れています。
限定公開なのでここにはアップできませんが、めちゃ可愛くて(特に池原社長)楽しい動画になっています。
私のクリスマスの思い出
子供が小さい家はクリスマスプレゼントを選ぶのも大変そうですね。
昔はおもちゃ屋さんのチラシに欲しいものに丸を付けてサンタさんにお願いしたりしていましたが、
今はネットとかで探しているのでしょうか?
サンタクロースは夢があって、いつまでも信じていて欲しいものです。
しかし、いつか本物のサンタはいないことを知る時がきます。
皆さんの場合はどのように知りましたか?
年上の兄弟からとか学校で友達からとかが多いのでしょうか。
私の場合、かなり強烈に記憶に残っているので聞いていただければと思います。
私はひとりっ子だったこともあり、かなり甘やかされて育ったのだと思います。
毎年クリスマスプレゼントは両親から当日もらうプレゼントと起きたら枕元に置いてあるプレゼント、2つありました。
なので確実にサンタクロースはいるものと信じていました。
サンタに会おうと頑張って起きていてもいつも起きたら置いてある状態でした。
さすがサンタだ!と思っていましたし、外国人のサンタクロースが家に来るとは子供ながらにありえないだろうとも思っていました。
親に「サンタさん見た?」と聞いて「見たよ!」と言われて「どんな人だった?」と聞き返した時の母親の返しがナイスでした。
「町長さんだった。」・・・・?
あり得ると思いました。その時は。
下諏訪の町長さんが町の子供にプレゼントを届ける。
フィンランドとかから来るよりリアルです。
そっかー、町長さんが配ってくれるのね!とすっかり信じてしまいました。
保育園くらいの頃でした。
それを信じたまま小学校3年か4年の頃まで過ごしていましたが、その年は母親がクリスマスの時に入院していました。
それまではチキンやケーキがあり、本物のモミの木のツリーを飾り付けてそれなりにメリークリスマスをしていましたが、
その年は父親と2人だったので、特に何もなく寂しいクリスマスだったのです。
それでもケーキだけは買ってきてくれてご飯を食べた後にケーキを食べながら父が、
「話がある、毎年クリスマスプレゼントを渡していたのは自分達だ。実はサンタクロースはいないんだ。」
と突然告白したのです。
ただでさえ寂しいクリスマスなのに、そんなショッキングなことを言われて私はわんわん泣いてしまいました。
すごくふてくされて、父とは口もきかずに泣きながらその日は寝ました。
朝目が覚めると枕元にプレゼントらしき包みがありました。
例年のようにリボンなどなくただ包装紙で包まれているだけの簡単なもの。
紙を取ったら1冊の絵本でした。
今まで読んでいた子供向けのものでなく、とても美しい絵で描かれた「人魚姫」。
夕べ話を聞いていたのでそれは父が置いてくれたものなのだとわかりました。
おそらく母も入院していたしプレゼントも用意していなかったので、夜私に話をしたのでしょう。
しかし、ショックを受けて大泣きしている私のために、下諏訪に1軒だけあった夜11時くらいまで開いている本屋に私が寝た後に買いに行ってくれたのだと思います。
「お父さん、枕元に置いてくれたの?ありがとう。」と言ったら、
「それがサンタクロースからの最後のプレゼントだ。来年からは欲しいものを自分で決めなさい。」と言われて私の中のサンタクロースのいるクリスマスが終わりました。
想像もできないくらいに昔は今よりとても寒く、父はその中を歩いて本屋さんまで行ったと思います。
雪も降っていました。
悪いことをしたなと反省しました。
それでも私のためにプレゼントを買ってくれた父の想いがとても強く残っています。
誰でもサンタクロースがいないことをいつかは知る事になります。
薄目を開けて事実を知ってしまったり、友達から教えられてしまったりといろんな場合があると思いますが、私にとってはすごく胸に残った思い出となっています。
次の年からはわがままパワー炸裂!誕生日が12月なので誕生日とクリスマスを合わせての法外に高いものを要求するようになりました(笑)。
私は今家を造る仕事をしています。
そんな小さい頃のクリスマスの思い出の記憶は、母のいない台所、父と話したテーブル、プレゼントが立て掛けてあった部屋の壁、朝起きた時の空気など空間と音と光で刻まれています。
私の家づくりの思いはただ住みやすい家を造ることではなく、住む人の人生の思い出と時間となる空間を創る事です。